皆様おはようございます。
段々と日が伸びて参りまして、春の訪れを一層待ち遠しく感じる今日この頃です🌸
前回の『徒然まり草』からだいぶ間が開いてしまって・・・大変申し訳ございません💦
毎日、もしくは定期的にSNSが更新できる方々、本当に尊敬致します😭
今月、講師を務めさせて頂きます日本舞踊協会主催の《オンラインワークショップ》の告知を先ほどさせて頂きましたので、是非そちらも合わせてご覧くださいませ。
さて。
この前、歌劇団に在籍していた時の様な深夜の自主稽古をしてしまいました😅笑
20時少し過ぎに帰宅して、ご飯を頂戴したりお風呂に入ったりしておりました。
気が付きましたら時計の針は23時近く。
ただ、どうしてもやりたいお稽古がございましたので、拙宅の稽古場でそーっとお稽古をしておりました。
あーでもない、こーでもないと考え、いつも相談に乗って下さるお知り合いの方にも助けを求めたりして・・・。
そして、ふと気がついたら朝の4時30分過ぎになっておりました🐓
とっても驚きました。
でも、同時にとっても嬉しかたのです。
もちろん、お昼間にはそれくらいお稽古することもありますし、私が言いたいのは時間の長さではないのです。
最近は
「やらなくちゃ」
という気持ちや、義務感ばかりが強くて。
お稽古をしようと思っていて、たまにそれが出来なかったりすると
「なんて自分はダメなやつなんだ」
と自分を責める。
・・・そんなことの繰り返しでした。
お稽古に身を入れることが出来ない自分も、自分を責めてしまう自分も大っ嫌いで、とにかく苦しかったです。
でも、この時の深夜稽古は「没頭」できたのです。
過去を振り返ってみると、がむしゃらに努力が出来ていた自分が確実に存在していた訳です。
努力を努力と思わないというか、当然のこととして「没頭」出来ていた自分が。
繰り返す様ですが、最近はそういうことがとっても足りていないし、そんな自分が大嫌いでした😔
「やらなきゃ」と思えば思うほど「出来ない」。
そして自分のことをますます嫌いになる。
(皆様も、そんな風に思われる時ってございますでしょうか。ぜひ教えて頂きたいです)
でも、ふと思ったんです。
努力が出来て、それを楽しんでいた時は
「根拠のあるなしに関わらず
《未来の自分を信じられていた》」
と。
だから、当然の様に色々な事が出来ていた。
そんなことに思いが至り、とても腑に落ちました。
10代や20代の頃というのは『目標』が設定しやすい時期なんだと思います。
「この道を歩けば必ずどこかにつながっているのだ」ということを明確に自覚できる機会が多いからです。
ですが、人生の大部分は『道なき道』『果てなき道』を歩くもの。
道の途中で迷ったり、なぜ歩いているのかどこを目指しているのか分からなくなったり、歩みを止めてしまいたくなったり…。
そんな風に思う時は沢山訪れると思うのです。
迷子になりかけていた私ですが、もう一度自分を信じようと思いました。
なぜ信じるのか。根拠はありません❣️笑
「今を生きる」ということは私の座右の銘でもあるのですが、この『今』が未来の自分の姿に、必ず繋がっている。道は繋がっているんだ。
そう思えたら、何だかワクワクして参りましたので、信じることにしました。
あ、ちょっと補足いたしますが。
「なりたい自分」を設定しすぎるのは面白くないかなって思うのです。
イレギュラーなこと、思わぬご縁に出逢い(仕事も人様も)✨
そういった事象によって、自分が予期せぬところに運ばれていくのが、人生の面白さであり醍醐味だと思うからです。
無駄なことも、周り道も、全くありません。
だから、「なりたい自分像」をガチガチに固めて、自分の可能性を狭めてしまうのは良くないかなぁと思うのです。
ただ「こうありたい自分」を願う。
そして、その姿を信じてあげる。
「必ず未来において、そう在れる」と。
話を戻しますが、腑に落ちつつ稽古をしておりましたら、すごく楽しく没頭できて、気がついたら前述のような状態で朝を迎えておりました
本当に、本当に、嬉しかったです・・・。
私の申し上げたことに対して「そんなことに今頃気づいたの」とか「どんな状態でも努力出来ないなんてプロじゃない」って思われる方もいらっしゃると思うのです。
でもこれからも頑張りますので、温かく見守って頂けましたら幸いです😌✨
願わくば、もし同じような悩みをお持ちの方がいらっしゃったら…どうぞ諦めずに、自分を信じて、歩き続けて頂きたいなって陰ながら思います。
はい。
実はですね、これを前置きに、「日本舞踊と洋舞における身体の使い方」の続きを書こうと思ったのです📝
(前回の記事はこちら)
ですが、思いのほか筆が進んでしまったので、今日はこれ切りに致します!
また楽しみに投稿をお待ちください✨
どうぞ宜しくお願い申し上げます。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました😂💕
(いつぞやの)
まり草